東北、三陸ツアー(MESA協力)レポート


大瀬にとっても20年ぶりくらいの三陸。津波後、まだ漕げていなかった三陸をやっと漕ぐことが出来きました。今回は、地元の老舗ガイド、MESA(http://www.mesasanriku.com/)の草山さんに現地ガイドをお願いしました。草山さんとは、エイアンドエフ時代からお付き合いさせて頂いている業界の先輩です。今回のツアー参加者は愛知県から2名、関東から4名の計6名。そして仙台から友人の鈴木夫妻(鈴木さん、クロちゃん)にサポートしてもらいました。草山さんと私を含めて、8名のクルーです。ある方は車で、ある方は飛行機(名古屋〜花巻)と電車で、ある方は車とフェリー(名古屋〜仙台)。みなさん、遠路はるばるお集まり頂きました。私は夜行バス(京都〜仙台)と車(便乗)です。カヤックは事前に宅急便でMESAさんに送らせてもらいました。

二日間に渡って、多様で複雑な三陸リアス式の海岸線のいいところを草山さんにガイドしてもらい、異なる場所(湾)をデイツーリング(キャンプなし)しました。水温は15度、海から吹いてくる風は冷たく、湿気を帯びているのですぐに低い雲が発生します。我々の海とはまったく植生が異なり、ニッコウキスゲが沿岸に咲き、まるで高原と海がセットになったような爽やかさです。海はうっすらした独特の青さで、海の人気がなく凛とした感じでなんともカヤックで浮かんでいるだけで幸せになれる海でした。海にはもちろん津波の爪痕もありましたが、思っていたほどのダメージではなく、自然の木々の力強さを思い知りました。二日間ほとんど、天国のような凪で「三陸の海は静かな海だあ。」と思っているとサポートの鈴木夫妻は、「仙台に越してきてから、何度も三陸に通っているけど、こんな三陸は漕いだことがない。」と嬉しそうにしていました。「そうなんや〜。」軽く流して聞いていましたが、私はツアー後のプライベート旅で三陸の本来の姿を見ることになるのでした。

草山さんには、今回特別に夜のガイドもお願いして、飲み屋が集まる呑ん兵衛横丁の「とんぼ」さんに案内してもらいました。呑ん兵衛横丁は戦後の未亡人救済のために作られたともいわれる歴史ある飲み屋街です。津波で被災し、現在の呑ん兵衛横丁は仮設のプレハブです。チャーミングなママと美味しい料理とお酒、うまかったです。「ママ、また来ますね。」といいたいところですが、来年の3月までに再開発でこの仮設店舗を立ち退かないといけないそうです。新しい場所に移るとなると経費もかかり、お店の存続も危ぶまれる可能性があります。なんとかこのまま継続できないものでしょうか。とにかく、一度、3月までに「とんぼ」さんに訪れてみてください。MESA&とんぼの最高の組み合わせをオススメします。
(呑ん兵衛横丁関連記事 http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000305/20160225-OYT1T50159.html

最後に。津波の爪痕、色々ありました。復興は進んでいるような進んでいないような。ただ三陸は津波を受けることを前提で人々が暮らしています。中には明治と昭和の始め、今回の津波と同じクラスの津波を3回、経験している人もいるそうです。津波だけなら、三陸の人たちは今までも自分たちだけで復興してきたんだと思います。そういう強さを三陸の人たちは持ち合わせているのでしょう。ただ近代化することで今までよりダメージが余計に大きくなり、その安全への担保のためにさらに設備への出資がかさんでいきます。復興への国の関与にも良い部分、余計な部分がもちろんあるようです。人間と自然との付き合い方の根本のテーマを突きつけられた気がしました。このテーマに対する答えは簡単には見つからないでしょう。ただ今回、三陸という場所の姿はこのツアーやこのツアー後の三陸でのカヤック旅を経て、行く前よりはうっすらと何か見えてきたような気がします。まあ一度では解らないので、何度でも訪れて、そして漕ぎます!ご参加のみなさん、ありがとうございました。










  


MESA店内で唯一、津波で生き残ったフェザークラフト、カサラノ。なんとしてもこのカサラノ生き返らせます!