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COLUMN「風使いたちの旅4」(kayak~海を旅する本 vol.35掲載)

前回の九州から沖縄への旅からあっという間に二年が経過し、また台湾への旅の続きが再開することになった。結局、様々な理由から今回の旅には、仲村さんは同行できないことになった。そして潤さんも体調不良のため、旅に行けないと連絡があり、前回の旅では、6人だったメンバーは4人となった。潤さんや仲村さんが参加出来なくなったのは、寂しいが4人で旅を進めることになった。出発前は、天候への判断等、仲村さんからのサポートは十分に受けた。潤さんも惜しみないエールを送ってくれた。

2009年10月6日

宜野湾マリーナから、まずは慶良間の座間味島へ渡り、アマビーチで停滞して風を待った。ダグは、undergroundというネットの気象予報サービスから、3日後までの風の予報と5日後までのアメリカ軍の波高予報をフェザークラフトに衛星電話で確認していた。俺も携帯で海上保安庁のサイトから近隣の灯台の風の情報を確認した。慶良間から、宮古島までの距離は、約250km。もちろんその間に島はない。久米島から宮古島へ渡ったほうが、距離は短いが東よりの風を利用することを考えると慶良間から漕ぎ出たほうが都合が良かった。ダグは天気と風が三日間安定するタイミングを待っていた。そして5日後にそのタイミングは現れた。「明日、行こう。」ダグが行った。全員がその言葉を待っていた。俺はその夜、明け方まで寝付くことができなかった。カヤックでの250kmの航海。時速10kmで25時間、時速5kmならば、50時間、ダグは三日以内に着きたいと思っていた。宮古島から沖縄へ漕ぎ渡ったカヤッカーはいるが、黒潮に逆走して、沖縄から宮古島へ渡ったカヤックはまだない。黒潮の影響をどれだけ受けて、風の力を利用してどれだけ南下できるのか、どれだけの時間がかかって、目の前にどんな景色が広がるのか、そして自分がその航海に耐えられるのか、月並みだが不安と期待が入り交じり、胸を圧迫した。寝たのか寝てないのかよくわからない状況で、空が東の空から徐々に明るくなってきた。ここまできたら、もう腹を決めて漕ぎだすしかない。K2にセーリングキットをセットし、全てのキャンプ用品を詰め込んだ。いよいよ出発の時が来た。

10月11日 航海1日目
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        
9時頃、アマビーチを漕ぎだすと、秋の爽やかな朝の風を受け、セーリングK2は待ってましたとばかりに海を滑り出した。しばらくするとダグが予備のマストライトを積んだのか?と皆に聞き始めた。マストに設置するマストライトをキャンプの照明に使用していたのだが、どうもそのままにして忘れてしまっていたようだ。ダグは取りに戻ると言い、ダニエルとエバンのK2はすこし先の阿嘉島に上陸して待っていると言った。二艇は別れ、我々は向きを変え逆風を漕ぎでさかのぼり、アマビーチへ向かった。アマビーチに戻り次第、ライトを見つけ、またダニエルたちとも合流はできたのだが、この時の上陸が後のダニエル艇の大きなトラブルを産むことになろうとは知る由もなかった。九場島を左手に見ながら慶良間を抜け出ると、目の前に島は見えず、そこには大きな海が広がっているだけだった。風を受けて走るK2に乗っていることが本当に気持ち良く、ギリギリの緊張が開放感へと変わる瞬間でもあった。

安全確保のための装備と航海のシステムを説明したい。スターンマンとバウマンの交代は、きっかり4時間おきにとられた。スターンマンはナビゲーションを行い、ステアリングし、進路を一定に保ち、ウォッチも行った。風があり、帆走していれば、バウマンの仕事は休息をとることだった。バウのシーソックは、セーリング用に特別に長く作られており、中に入ればカヤックの中に横になれるようになっていた。これはかなり快適で車の助手席で寝るよりよく眠れた。俺の担当時間は、8時から12時、16時から20時、0時から4時だった。洋上での交代は、ポンツーンがあるために比較的容易だ。基本的なナビゲーションはスターンマンにより、コンパスで行われるが、30分に一度、GPSのスイッチを入れて、航行ラインからそれていないか確認をとった。ダグが事前に慶良間から宮古島の間の250kmの間に6個のウェイポイントを設定し、そのウェイポイントを必ずクリアしていった。もし二艇がはぐれた場合には、次のウェイポイントで待ち合わせるというのが約束だった。GPSは予備も含め、一人1個で各艇に二個、ダグが衛星電話を一個持っていた。今回の旅からあらたに導入されたのはSPOTというGPSの発信システムだ。バウマンとスターンマンの4時間おきの交代のときにスイッチを入れて、自分たちの位置情報を衛星に送る。その位置情報は、契約したオブザーバーのパソコンに送られる。有事の際には、ヘルプボタンを押すとヘルプサインと位置情報が、オブザーバーに送られるため、それを受け取ったオブザーバーが海上保安庁に連絡を入れるというシステムだ。今回の旅のその情報は、フェザークラフト本社やエイアンドエフ社へ送られた。SPOTは、各艇に1個装備された。

出だしは、快調そのものだった。3~4ノットでカヤックは航路上を進み、ケラマは徐々に小さくなっていった。明るい間は、右手には久米島が見えていた。徐々に暗くなると周りは闇夜となった。毎日、20時の交代のタイミングで一度、マストを外し、マストライトにスイッチをいれた。コンパスはダグが改造して、夜になるとLEDライトで羅針盤が見えるようになっていた。闇夜の水平線を眺めていると、進行方向の水平線上の雲がかすかに明るくみえた。宮古島や石垣島の明かりがもう見えるのかと思っていたら、右手前方の海の雲もかすかに明るい。おそらくだが、400kmほど先の台湾の明かりが見えていたのだろう。それほど曇り空の夜の海は暗かった。20時から0時の間、俺がバウマンで休憩している時、ダニエルとエバンがなにやら叫んでいる。どうもカヤックの中に浸水があるらしい。しかも今までは何もなかったのに急に浸水してきたというのだ。我々がケラマでライトを取りに戻った時、無理に二人でカヤックを岸にあげたため、ボトムを傷つけたようだ。その傷が今になってひどくなり、浸水が激しくなってきたようだ。もちろん洋上でのリペアなど不可能で、俺はもう旅はここで終わりかと思ったが、ダグは意外に落ち着いていて、自分たちでなんとかしろという感じであまり取り合っていなかった。旅は継続されることになったが、彼らはここから次の上陸まで二十分ごとに一度のビルジポンプによる排水を余儀なくすることになったのだ!

10月12日 航海二日目

0時から4時まで俺がナビゲーションを担当し、4時の暗いうちに交代した。バウシートでウトウトしていると周りの海が後ろの方から、金色に染まっていく。外洋航海の日の出、日の入りは本当に美しい。周囲360度海のみ、暗闇の世界が、日のあたる世界に変わる瞬間、また日のあたる世界が暗闇の世界に変わる瞬間、これは本当に美しい世界だった。ダグは、そういう景色をみて、「nowhere!」とつぶやいていた。この日の風は徐々に弱くなり、東よりの横風となっていった。日中はギリギリ帆走できたが、夜にはついに向かい風となり、漕がないと風と海流により北に押し戻されてしまうということが解った。ここからはもう漕ぐしかなかった。4時間ごとの前後の交代は、継続されたが夜も眠ることなくひたすら漕ぎ続けた。

10月13日 航海三日目

風は相変わらず真向かいから吹いてくる。ひたすら漕ぐがGPSの航行スピードは、1ノット台。まだまだ宮古島は遠い。とにかく漕ぎ続けるしかない。昼に一度、シーアンカーを流して、1時間ほど休んだ意外は昨夜の22時くらいから徹夜で漕ぎ続けている。そしてカヤックに乗り込んでから3度目の夜を迎えた。暗くなると目の前の水平線上に激しく落雷が光っているのが見えた。どうも宮古島の北に前線があるようだ。ダグはこのまま前線に突っ込むのか、宮古島手前の海で前線をやり過ごし、明るくなってから宮古島に接近するのか悩んでいた。皆の疲労も限界に達していた。ダグは突っ込むことを決断した。前線が近づくと前線に向かって、風が強く吹き始めた。あちこちで稲光が海を明るく照らし、一瞬で海は大荒れとなった。ぼんやりと灯台の明かりは見えるが、視界が悪く、自分たちの正確な位置を掴むこともできなかった。宮古島の周辺には大きな環礁があり、昔から多くの船が座礁した難所だ。危険な状況だったと思う。しかし俺はそんなことよりやっと風を得て、一瞬でも漕がなくてもいいということと、激しい雨で真水が浴びれるということが何よりも嬉しかった。しかし後で聞いた話だが、スターンシートでステアリングを担当していたダグは、無理して突っ込んだことを後悔していたようだ。「あれは、行くべきではなかった。シーアンカーで停泊し、日が昇ってから宮古島に近づくべきだったんだ。」と一年後に聞いた。前線が通過すると海は嘘のように穏やかになった。暗闇の凪の海を漕ぎ進んで行くと宮古島と池間島を結ぶ橋の明かりが見えた。もう安心だった。宮古島の環礁の中に入った瞬間、太陽が空を赤く染め始めた。これほど海や太陽を美しいと思った瞬間はなかった。10月14日の9時頃、池間島の港にたどり着き、座間味島を出航してから、丸三日、72時間の航海を無事に終えることができた。この三日間はサバイバルだった。シーカヤックは、長さや距離に関わらず、一度、陸を離れたら、必ず生きて陸へ帰らなければいけない。大気の動きを読み、海の流れを読み、自分、もしくは風の動力で地球と一体となるシーカヤックの旅。海は大きい。海に対して圧倒的に小さなカヤックで自分の知らない海、日常では見たこともないような景色、ギリギリの緊張感の中の開放感を求めて旅にでるのだ。少しでも日本がつまらないと思うなら、もっと刺激的な人生を送りたいと思うなら、一生に一度でいいから自分の力でカヤックを漕いで旅に出てみよう。その旅が楽しいだけの想い出とならなくても、その経験はその後の人生に何かの影響を残すはずだ。そして旅に出る前より、すこしでもこの国と日本を取り巻くこの海を好きになってもらえれば嬉しい。この旅の続きは、今年の10月に再開する。機会があれば、また皆さんに報告したい。


4時間ごとにspotから送った位置データ。ほぼルート上を一直線に進んでいる。後半の3/1が極端にスピードが遅くなったことが分かる。


絵描きの伊東孝志兄が宜野湾の出発前にジンジャーミルクティーとサンドイッチを差し入れに来てくれた。仲村さんも一緒に見送ってくれたのは言うまでもない。


アマビーチでは、海図を見ながら、何度もブリーフィングを行った。ダニエル(写真右)は、ダグの良き右腕だ。


ほぼ宮古島に着いたときの朝日。素晴らしい朝日だった。この光景を一生忘れることはないだろう。


ダグ・シンプソンJr、エバン・シンプソン。2007年の旅より確実に成長していた。心優しきタフな大男だ。


池間島では、長嶺さんのところに1週間お世話になった。長嶺さんは、海想の森さんに紹介してもらった。海の旅のネットワークがありがたい。


民宿、勝連釣具の勝連見治さんにもお世話になりました。池間の海の男でした。八重干瀬を釣等、ガイドされています。お兄さんは民宿をされています。


池間の釣りガイド、大関さん(写真中央左)。港に上陸したとたん、いろんなことを教えてもらいお世話になりました。


宮古島の食事処、じんく屋のお母さんと。後輩の実家で宮古そばを作られています。何度も食べに行きました。


那覇に戻り、仲村家にて。旅からの生還を祝してもらった。恵子さん、いつも国籍を問わず馬鹿な男どもの面倒を見ていただいて有難うございます。