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COLUMN「風使いたちの旅1」(kayak~海を旅する本 vol.32掲載)

 「カヤックで旅をする。」こととの出会いは一冊の本の中でだった。「お前コレ読んでみろよ。」大学4年の時に友人から1冊の本を渡された。その本の題名は「日本の川を旅する」、言わずとしれた野田友佑さんの名著だ。衝撃だった。何故だかわからないが、俺にはこれだと直感した。そしてそれがきっかけで野田さんが愛用していたカナダ製のフォールディングカヤック「feathercraft(フェザークラフト)」を輸入していた会社、エイアンドエフ社の門を叩いた。そこから私のカヤック漬けの人生が始まった。フェザークラフト社の創始者ダグラス・シンプソンに始めて出合ったのは、18年前の神奈川県葉山の一色海岸、エイアンドエフ社が主催したフェザークラフトミーティングというイベント会場でだった。そこにはゲストでライターの堀田貴之さんやダグの古くからの友人だったローリー・イネステーラーさん(故)、カメラマンの梅田正明さん、九里徳泰さんらが来ていた。それまで普通に生きてきた僕にとって、そのそうそうたるメンバーの顔ぶれとカヤック旅の話のインパクトは衝撃的だった。「ここは人生の吹き溜まりだ。とんでもない世界に足を踏み入れてしまった。」と真剣に思ったものだった。そして僕が始めてダグと交わした会話、「フェザークラフトって値段高いね。」と言ったら、ダグは肩をすくめていたのを覚えている。後でもう少し気の効いたことが言えなかったものかと後悔した。それから18年、ダグとは色んなところを一緒に漕いだ。バンクーバーには何度も訪れ、滞在中は、毎回、彼の自宅にホームステイさせてもらっている。彼は自宅からグランビルアイランドにある工場までほとんど毎日カヤックで通勤する。初めてバンクーバーを訪れた時、仕事を終え、工場を出るともう暗くなっていた。車で帰るとばかり思っていたら、「シロー、帰るぞ」とダグはドライスーツに着替え始め、暗闇の中に普通にカヤックで漕ぎ出したのだ。季節は真冬、ローカルのサイプレスマウンテンの上部は積乱雲から発する稲光で光っている。途中であられが降り出し、見る見るうちにカヤックのデッキの上は、真っ白になっていった。ドン引きになっている私のその横をカナダ人のおっさんが口笛を吹きながらカヤックを漕いでいく。「イ、イカれてる。」と人生経験の足らなかったヤングな私は心の中でそう思った。次の日には、キティラノビーチでロールの練習をさせられた。

   カナダでは彼とロングトリップに出かけたことはないが、バンクーバー周辺やバンクーバーアイランドに近いガルフアイランドには漕ぎに行った。ダグが子供の時、初めてカヤックに乗ったという場所やフェザークラフトの独自のカヤックを組み立てる時のテンションシステムを思いついたという場所にもカヤックで連れていってもらった。もちろん日本でもいろんな場所を一緒に漕いだ。ダグは親日家だ。この18年間、日本に毎年必ず来日している。2007年や昨年のセーリングトリップで九州から沖縄、その他では奄美、八重山、慶良間、三浦、伊豆、松島、若狭、琵琶湖、那珂川と日本では色んな場所を供に旅をした。ダグはその他も瀬戸内、九州や北海道を旅している。自分の作った子供たちとも言えるカヤックをユーザー達が愛用をしてるのを満足そうに見て、気分良さそうに口笛を吹きながらカヤックを漕ぐ姿を幾度も見てきた。彼はカヤックデザイナーであり、経営者であるが、一パドラーとしての実力ももちろん高い。見た目は、学者のような風貌だが、幼少よりバスケット等のスポーツで身体は鍛えてあり、身体能力も高い。先ほども言ったが、ほとんど毎日、自宅から工場までの6kmほどの距離をカヤックで通勤する。朝は6時に起き、8時の出社時間に間に合うように漕ぐ。朝食は途中のキティラノビーチでカヤックに乗ったままフルーツを食べる。雨の日も雪の日も風の強い日も漕ぐ。真冬は暗いうちから漕ぎ出し、帰りも日没後となる。新しくデザインしたカヤックを毎日自分でテストしながら、調整を加えていく。荒れているフィールドでテストするために5月のバンクーバーアイランドの北岸でツーリングテストをする。K2でケープホーンを回り、カサラノを作った時には、グリーンランドの西海岸と東海岸を二度旅している。古くはK1でベーリング海も漕いでいる。彼にとってカヤックをデザインすることとそのデザインしたカヤックで旅をするということはセットなのだ。2006年にバンクーバーを訪れた時だった。「シロウ、セーリングをやるぞ。」いつも漕いでいる通勤コースをカヤックに帆を立てたセーリングカヤックで通勤した。風を受けたカヤックは生き物のようにグイグイと進み、冠雪したバンクーバーのローカルマウンテンを眺めながらイングリッシュベイを帆で走った。そのままバンクーバーアイランドまで行きたくなる、そんな印象だった。
 
 ダグが初めて本格的なセーリングカヤックのシステムを作ろうと思い始めたのは、2000年からだった。初めにダグが考えたのはフェザークラフトのシットオントップカヤック、エアラインシリーズを双胴船にするカタマランスタイルだった。構想から4年で出来たセーリングカヤックで、まずは2004年、Queen Charlotte Islands (Haida Gwai)を旅している。そして翌年、2005年にPolynesia。Hiva Oa → Fatu Hiva(50マイル)の外洋横断を経て、Fatu Hiva → Napuka(300マイル)にチャレンジ中、215マイルまで4日間かけていったところ、途中ストームに合った。ダグは途中、破傷風で手がグローブの様に腫れ、高熱に侵されていたらしい。二人艇、二艇のうち一艇は沈みかけ、最後には衛星電話で救助を要請したようだ。南半球とはいえ、昼夜を問わず、風や波しぶきを浴び続けるシットオントップカヤックスタイルでは、やはり状況は厳しかったらしく、シットオントップカヤックを使ったセーリングカヤックシステムについては、この旅を最後に諦めることになった。しかし翌年にはクローズドデッキカヤック(K2、K1)にポンツーンを使用するシステムを考案し、2006年には、Florida Keys、Bahamasのテストトリップを経て、徐々にそのセーリングシステムの完成度は上がっていった。そして次にダグが選んだテストの海は我らの日本の南西諸島の海、九州から台湾へ行くコースだったのだ。時期は、10月。九州の最南端、佐多岬を出発し、黒潮に逆行するかたちで島伝いに南下し、奄美、トカラ、沖縄、八重山を経由し、台湾まで渡るというもの。カヤックにはフェザークラフト社K2エクスペディションにセーリングシステムを装着し、漕ぎと帆を使って進む。その総航行距離は、1100km程となる。カナダから、ダグ本人、息子のエバン、フェザークラフトの社員のダニエルが参加することになっている。前回にも書いたが、その話は2006年に沖縄で開催されたフェザークラフトミーティングというイベントの直後、私たちに向けてその内容が伝えられた。まずダグはその旅に自分のK2のパートナーとして沖縄カヤックセンターの仲村忠明さんに声をかけた。仲村さんの20年間のガイド業で培われた南西諸島の海の知識とサバニ(沖縄の帆走出来る魚漁用の櫓櫂船)に対する造詣の深さをダグもこの旅に必要なものだとしていた。
サバニの帆のスタイルで仲村さんにK2セーリングシステム用のセールをデザインして欲しいと依頼し、それをその旅でテストしようと誘った。

「行きたい奴は行こう。」とダグは僕たちも誘った。しかし、仲村さん以外、その場で「行く」と即答出来るものはいなかった。そして仲村さんは旅のメンバーとしてライターの斉藤潤さんにも声をかけた。潤さんは仲村さんが主催する2003年のK2を使った沖縄から奄美へのシーカヤックツアー、また2005年、2006年のサバニでの沖縄から奄美へのチャレンジに仲村さんに同行している。そして潤さんもこの旅への意思表明を決めた。私も気持ち的には、ダグから話を受けたときにその場で行くと答えたかった。しかしそれには1ヶ月以上の休みを確保し、更に後1年で外洋を渡れるセーリング技術を身につけなくてはならない。当時の自分に黒潮に逆行して九州から台湾までの海を渡れる力があるとも思えなかった。そして正直にいうと、その時はまだダグの作ったセーリングシステムを信用していなかった。もちろんカヤック本体については長年の付き合いの結果、信用している。しかしセーリングシステムについては「本当にそんなことが出来るのか?そんなもの途中で壊れてしまうんじゃないか?」と思っていた。その内なる不安を打ち消そうと、出来る限りの情報を収集したりしてみた。しかし自分を納得させてくれる答えはなかった。誰もやったことがないことは誰に聞いてもわからないし、やってみるしかないという単純な答えに行き着いた。迷ってる私にダグはこう言った。「みんな俺がイカれてると思ってると思うけど、息子のエバンも連れていくんだから、死ぬようなことはしないよ。」自分に見えなくても自分の師匠に見えているものを信じてついていくのも悪くない。イカれたカナダ人の師匠にとことん付き合ってみよう、最終的にそう決断し、私も参加を表明した。何があるか分からないのが海、そして、それを楽しむのが海の旅だ。K2のペアは、ダニエルとエバン、ダグと仲村さんが組むことが決定していたので、私は潤さんと組むことになった。私と潤さんのコンビは参加するペアの中では一番セーリングの経験が少ないペアとなった。この旅での海が荒れた究極の状況では、他の艇に頼るわけにもいかないし、自分の実力不足で潤さんはもとより他のメンバーに迷惑をかけるわけにいかない。この旅に行くと決めてから、私の頭の中には24時間、黒潮が流れ始めた。