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COLUMN「風使いたちの旅2」(kayak~海を旅する本 vol.33掲載)

この旅に出くわすまでは、シーカヤックのツーリングコースとしては、沿岸の海を漕ぐのが好きだった。雑誌の取材で伊豆半島から、伊豆大島、伊豆大島から三浦半島へ渡ったり、沖縄カヤックセンターの仲村さんの手伝いで沖縄本島から伊是名島に渡ったりしたことはあったが、どちらかというとその単調さ(当時はそう感じていた)に退屈さを覚えていた。海から、陸の山々を眺め、歩くように漕いで岬々を巡りながら、岬を廻るごとに変わっていく景色を楽しむのが好きだった。そんな俺が、こんなことに巻き込まれ、いきなり九州から台湾まで漕いでいくことになった。セイリングするということ以前に外洋に慣れてもいなかった。しかも今回は、夜通し漕ぐという事も想定されている。次の島まで普通に60km以上の外洋、しかも黒潮という海流の影響を受ける海、そして夜間航行、すべてが俺にとって未経験で、自分中に判断する基準がなく、イメージすることが出来なかった。カヤックに乗って旅に出るなら、そこが始めての場所でもある程度は、安全に航海するなら、想像してイメージする必要がある。イメージできないものは、仮想の経験を積んででもイメージできるように、仮の経験を積むしかない。旅になんとかせねばと思っているところに、友人の芳地直美から電話があった。「岡崎造船っていう小豆島のヨットメーカーの回航のバイトがあるんだけどやる?」内容は、横浜から三重県件の鳥羽まで、岡崎造船の須加田営業部長と芳地直美とトリプルハンドで38フィートほどのヨットをヨットに乗って運ぶというもの。ほとんどエンジンは使うので、帆走技術は身につけられるかわからないが、外洋航行と夜間航行の経験は身につけられる願ってもない話だったので、二つ返事でやらせてもらった。芳地直美は不良でダウンしてしまい、須加田さんとダブルハンドで強風波浪警報が出る真っ暗な海のデッキの上で山のようなウネリにびびりながらギリギリの経験を積ませてもらった。また自分の中に新しい基準が出来ることになった。時間があれば、琵琶湖や若狭でセールをはり、カヤックを走らせ風を掴む感覚を磨き、旅へのイメージを徐々に深めていった。

そして今回の旅では、新たな道具を使いこなす必要性があった。それは、GPSだ。今までの沿岸のカヤックの旅では、自分にとってGPSは必要なかった。ナビゲーションはほぼ目視、デッキコンパスがあれば充分だった。地図もチャート(海図)はあまり使わず、地形図かロードマップを使い、民宿の朝ごはんの糊のパッケージに描かれているイラストの地図を使ったり、地図無しで漕ぐという事もざらだった。目的地を決めないフォールディングカヤックの放浪旅には、GPSは必要なかった。またGPSを使用することで自分の中の本能的な五感が損なわれるし、また養われないのが嫌だった。しかし今回の旅はGPSに頼るしかないだろうという旅だということは自分でも納得できた。ダグが地図上に設定したウェポイントいう座標を皆がGPSで共有し、ルートやはぐれた場合の待ち合わせ場所を認識した。何の目印もないくらい外洋で、特定の場所で待つということはGPSを使用するより他に選択肢はない。GPSは各K2にバックアップも含めて2個、配備した。緊急の連絡用の通信機器としては、衛星電話を用意した。ダグがカナダから1個持ってきて、わたしがフェザークラフトのユーザーでもある写真家の小原玲さんから一つ借りた。GPSと衛星電話の組み合わせが、なにかトラブルがあったときのバックアップとなる。(次の旅からは、これにSPOTというシステムが加わってくる。)ダグのGPSの使い方を追記しておこう。ダグはGPSの電源をつけっぱなしにして、ログ(航路の記録)を取ろうとはしない。30分に一度だけ、自分の位置を確認する時にだけスイッチを入れる。そうすれば、洋上でバッテリーを交換する必要がほぼなくなる。直接、しぶきを受けるカヤックでは、電子機器のバッテリー交換の作業は、機器を故障させる可能性をつくるタイミングといえる。機械に頼りきることなく、機械をつかいこなす。このダグのハイテク機器への姿勢が俺は好きだ。基本のナビゲーションは、チャートとコンパス、そのバックアップとしてGPSを使う。それが俺の中でも外洋航海のスタイルとなった。とはいえ、まだGPSの使い方が良く解らず、もっと把握しなくてはならないのだが…

その他の特殊な装備としては、マストにつけるレーダーリフレクター、そして夜間も点灯するデッキコンパス、マストの先端で夜間点灯するマストライト。カナダ、東京、滋賀、沖縄とバラバラに点在するメンバーとコースや装備の確認をしていきながら、旅への日程は迫っていった。装備は、㈱エイアンドエフ社からも諸々提供をうけた。旅に使うK2は、1艇がフェザークラフト社のもの、2艇は沖縄カヤックセンターのものを使用。セーリングキットはフェザークラフト社から、セールはフェザークラフト社と沖縄カヤックセンターから提供してもらった。多くの人たちからのサポートと声援を受け、いよいよ10月、旅がスタートすることになった。改めて記すが、旅のコースとしては九州南端から台湾を目指すというもの。しかし、まず始めの問題点は九州のどこから出発するのかということだった。ダグの計画では、最短距離である佐多岬から竹島を目指すというものだった。我々はまずカナダ人3人と鹿児島で落ち合った。出航までのサポートで、エイアンドエフ社から赤津大介、サザンワークスの松本てっちゃんとまいちゃんが駆けつけてくれた。旅のメンバーは、俺、ダグ、ダニエル、エバンが揃い、仲村さんと潤さんは後から合流ということでまずは、佐多岬に近い根占のキャンプ場にベースを作り、装備のチェックやセッティングの事前準備や現地での情報収集を行うことにした。そのキャンプ場を運営する辻親子はバリバリのヨット乗りで様々海の情報を提供してもらい、ヨットに乗せてもらったりした。色々と現地で情報を得るうちに、佐多岬から竹島への最短距離のコースは、逆潮となるので距離は伸びるが、開門岳のある大隈半島側から硫黄島に南下するというコースを取ることで最終決定となった。そこで仲村さん、潤さんも合流し、いよいよ役者が揃い、後は出航するだけとなった。結局、台風の影響による足止めもあり、鹿児島に入ってから出航までにすでに一週間が経過していた。出航までサポートしてくれたてっちゃんありがとう!彼とは次の年、野間岬から甑島に渡るセーリングトリップに出かけることになる。

2007年10月13日 鹿児島大隈半島瀬平~薩摩硫黄島 約30マイル

役者は揃い、すべては万端、機は熟し、後は出発するだけだ。この旅まで1年、いろんなことがあったが、すべてが吹き飛ぶ瞬間だった。「野郎ども、帆をあげろっ!」と叫びたくなったから叫んだ。太古の歴史から舟乗りの目印として存在した開門岳が俺達を見送り、そして徐々に小さくなっていった。始めは軽い微風が吹いていたが、風も徐々にやみ、コースの2/3はひたすら漕いだ。黒潮の影響もあり、なかなか距離は伸びず、硫黄島まで10マイルというところで日はすでに大きく西へ傾いていた。そこから西風が強くなり、海が荒れ始めてた。右サイドからの横風で帆に風を受けたK2は荒れた海を待ってたかのように走り始めた。左には山肌から、硫黄が立ち上る硫黄島が不気味にそびえたっている。左斜め前の西の空を美しい夕日が海と空をオレンジに染め始めていた。しかし、それを美しいと思う余裕はなく、頼むから太陽よ待って頂戴という気分だった。そこで更にマシントラブルが発生した。マストを支えるデッキマウントのボルトが外れて、大きくマストが揺れ始め、それと同時にマストを受けているデッキバーが、外れてるではないですか。しかもアマと呼ばれる右サイドのポンツーンが空気が半分くらい抜けてしぼんでるではないですか。現実を認めたくない俺は、黙ってようかと思ったが、恐る恐るバウシートの潤さんに「あの~えらいことになってますけど~。」と報告すると、「やっべー!」と目の色を変えて、応急処置をし始め、なんとか最悪の状態をしのいだ。気づくとあたりは、真っ暗。仲間のK2はマストについているライトで一応、場所を確認できた。風はまだ吹いていた。いよいよ島の南西部にさしかかり、針路を南から東へ向け、後は追い風で島の南側に回りこむだけ。なんとかここまで来たと岬を回り込もうとした瞬間だった。岬を越えて前から向かってくる猛烈な潮に西風がぶつかり、ばかでかい川の瀬のようなものが、突如海に出現した。「ジュ、ジュンさん、これやばくない?」と言った瞬間、K2はその瀬に突入。追い風で進んでいるように感じるK2もうっすらと横に見える岬の景色から、まったく進んでいないことが確認できる。「なんじゃこらあ~!」と潤さんが松田勇作のように叫ぶ。K2は、翻弄され、進まない。「漕げえー!」と二人で猛烈に漕ぎ始めた。応急処置したデッキはギッシギッシと苦しそうな音をたて、空気の抜けたポンツーンは頼りなくカヤックを支えている。他のK2も翻弄されている姿が、マストライトの動きから想像できるが、こういう状況ではお互いが助け合うことは不可能に近く、自分達のことは自分達でなんとかするしかなかった。ボトムから4m以上ある場所に設置されたマストライトが波間に見え隠れするのが恐ろしかった。K2がサーフィンするごとにラダーペダルを大きく踏み込んだが、踏み込む足の膝が恐怖で震えたのははじめての経験だった。20分から30分くらいたっただろうか、じりじりと前に進み、激潮地点を抜けたところで、今までのことが嘘のように風も波も流れもおさまり、静かになった。少し遅れてきたダニエルとエバンを待って、静かに硫黄島の南側の港に入っていった。上陸してダニエルに「マジビビッタ」という日本語を教えたら、喜んで連発していた。初日があまりにもタフな旅だったため、次の日はオフとなった。硫黄島は素晴らしいロケーションのキャンプ場、温泉、そして日本と思えないような島の景色、苦労して渡ってきたことを帳消しにしてくれる島だった。そして、この初日のコースは、自分の中に外洋のカヤックセーリングの基準というものを作ってくれた。30マイルの距離感、GPSを使ってのルート取り、風を受けながらまっすぐに進むテクニック、マシントラブルに対する対応力、夜間航行、潮と風が当たった場合の海の荒れ方、新たに重要な情報がインプットされ、全て想像で思い描いていたものが実際の情報をもとに修正されていった。これが本当の意味での経験だ。そして海ではこの経験が次の航海への原動力となり、また航海の安全への裏づけとなる。タフな1日だったが、風使い大瀬志郎が誕生した記念日としては充分な1日だった。やっとこのメンバーになれたという充実感と心地いい疲労で硫黄島の素晴らしい星空のもと深い眠りについた。