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COLUMN「風使いたちの旅3」(kayak~海を旅する本 vol.34掲載)

硫黄島に到着した時には、暗くてよくわからなかったがそのキャンプサイトは、背後には岩肌がそびえ、本州のものではない雰囲気の植生に包まれた素晴らしいロケーションだった。この日は休航日になったので、1日、硫黄島を歩いて散策することになった。島内には数箇所の温泉があり、島の岩肌からは硫黄が立ち上っていた。「ここは日本なのか」と思わせる風景だった。ハードな航海の後のゆるい島の一日は身も心もリラックス出来て本当に楽しい。ダグはセールリグのトラブルのあった箇所を入念にチェックした。木をFRPでコーティングしたリーボードにボルトのヘッドが食い込んでいたので、急遽、5円玉をワッシャーにして応急処置した。セーリング時の振動で、どうしてもボルトとナットが緩んでしまうため、上陸したら必ず緩みをチェックし、閉めなおすようにした。そんなことがアップデートされていった。次の日には、屋久島の西側に位置し、硫黄島の南40kmに浮かぶ口永良部島を目指すことになった。この日は、適度な風が吹き、黒潮の逆流の影響もさほどなく、順調な航海だった。しかし、俺たちの艇が帆走でまっすぐ進むことが出来ず、3艇のペースがまだ合わなかった。とはいえ、九州~硫黄島間の航海に比べれば、安定した天候に恵まれ、夕方までには口永良部島の港につくことが出来た。港は島の南側に位置し、硫黄島の時と同じく島の西側から回り込んだ港のすぐ脇のビーチにK2をあげ、テントを張らせてもらった。口永良部にも温泉があり、ここでも体の疲れをほぐすことが出来た。このあたりの島々には屋久島も含め、温泉に恵まれているので、島への上陸後の楽しみとなった。

港にはどこかの大学の調査船が入港していたので、すこしお邪魔することになった。俺と潤さんは女子大生がうじゃうじゃいることを想像したが、そんなことはなかった。その代わり、黒潮のデータを教えてもらうことが出来た。この年の黒潮は10月に入っても流速が衰えず、速い場所では4ノットから、5ノット流れているということだった。屋久島の南側には、黒潮が西から東へトカラ列島へ渡るコースを横切るような形で流れている。南西から来る流れに対し、北東から吹いてくる風を利用して進むため、風と流れがぶつかり合い、海は大きく荒れる。屋久島と口之島間は60kmあり、黒潮の逆流を受け、満足に巡航スピードを得られない場合、日照時間が10時間しかないこの季節では夜間に突入してしまうことも考慮に入れなければならない。また途中、黒潮の影響を強くうけそうであろうという場所に浅瀬もある。ダグと仲村さんは、この4ノットから5ノットという話を聞き、直ちに屋久島~奄美間の航海を無理だと判断した。そして口永良部島から屋久島に渡り、そこからフェリーで奄美大島わたる計画に変更となった。口永良部港を朝に漕ぎ出し、対岸の屋久島、永田浜を目指した。風はあいにくの向かい風。今日は帆走でなく漕ぎで海を渡る。真向かいの風ではなく、屋久島の北側から吹いてくる東よりの風だったため、少しだけ帆に風を入れる。こうするとすこしだけ帆は揚力を得て、漕ぎの推進力のサポートになる。このセーリングK2は帆による風の力と漕ぎによる人力のハイブリッドな乗り物なのだということが徐々に理解出来初めていた。漕ぎ始めると、ダグ-仲村さんペアが先行し始め、ダニエル-エバンペアと俺-潤さんペアの間に大きく差が出来始めた。こっちも真面目に漕いでいるのだが、仲村さんたちとの差は開くばかり。何故、60才オーバーの彼らにここまで差をつけられるのかが理解できなかったが、休憩もとらずマシーンのように漕ぎ続ける二人の背中を見送るしかなかった。心配した海流や潮流による海峡の変化はあまり感じることなく順調に永田の漁港に到着した。向かい風ではあったが、屋久島の峰峰を眺めながらのパドリングは楽しいものだった。その日は、永田の漁港でキャンプさせてもらい、次の日の朝にはK2をすべてばらしパッキングした。永田からフェリー乗り場の宮之浦までの移動は、潤さんの知り合いのルミちゃんにお世話になり、満載の荷物と外人を含めたイカレタ輩を快く宮之浦まで運んでくれた。その日の夜は、屋久島に移住した俺の後輩のニームラ(スプラウト)の友人、タクヤの家に世話になった。タクヤはニームラの漁師時代の仲間だ。またまた外人を含むイカレタ輩は島の人々の世話になることになった。奥さんの晩御飯にもてなされ、久々に屋根の下でゆっくりと休めた。屋久島でも少し、遊んで生きたい気分だったが、まだ旅の先は長い。

屋久島には結局二泊し、皮肉にも苦労してきた海路をフェリーで鹿児島まで逆戻りすることになった。屋久島から奄美へは、フェリーで直接渡ることは出来ない。屋久島から一度、鹿児島へ戻り、それからまた鹿児島から奄美大島行きのフェリーに乗り換えなければならない。鹿児島港では、鹿児島カヤックスの野元さんとフェザー乗りの友人、太郎君とその仲間たちが出迎えてくれた。パッキングされているとはいえ、すべてのK2やセーリングキット、その他のキャンプ用品を人力で運ぶのは容易なことではない。みんなの車での搬送でのご協力が本当にありがたかった。自分たちの我侭な旅にも関わらずこういう旅は周囲の協力なくしてはなりたたない。またまたフェリーに乗り込み、今度は1泊二日のフェリーの船旅。すこしほっとしたのか、泥のように眠った。明るくなって、奄美大島の東海岸を走るフェリーからみた海は大荒れだった。二週間ほどのキャンプ生活から、文明生活に戻り、せっかく研ぎ澄まされていた感じが既にリッセトされ始めていた。そしてこの先、俺はいけるのかと少し不安になり始めていた。奄美大島の南西端、曽津高先を回りこみ大島海峡に入ると今までのことが嘘のように海は凪ぎ、フェリーは穏やかな瀬戸内を静かに古仁屋に向かった。その穏やかな瀬戸内の島々と海、奄美の山々を眺めていると今までのいきり立った気持ちが次第にほどけていく感じになっていくのがわかった。フェリーから降りると、港には海のさんぽ社の大雅さんや静岡幸久にいさんが、出迎えてくれた。またまた荷物をスロープまで運んでもらい、そこで再び組み立てられ、羽の生えたカヤックたちは、待ってましたとばかりに奄美の海へ滑り出していった。今日は、ヤドリ浜までのツーリング。ヤドリ浜は俺の大好きな場所のひとつだ。なんとなく柔らかな奄美の雰囲気に身も心もほぐされ、「所詮、遊び。心から楽しもう。」と開き直った。ヤドリ浜に一泊し、次の日の朝はアカショウビンの声で目覚めた。早朝、再度の出発にみんなのテンションは高めでヤドリ浜を漕ぎ出した。瀬戸内を抜け出すと帆は東からの風を受け、南へと帆走し始めた。雲の隙間から朝日が差し込み、それが加計呂間島の東海岸の岩肌を美しく照らし出した。徳浜を横目に南下していき、加計呂間島をパスすると西から大きなうねりが入ってきた。K2は山のようなうねりの中、風を受け進んだ。大きなうねりは地球のリズムだ。その重低音のリズムを感じながら、太陽の日差しの暖かみ、そして風の心地よさを感じた。海、そしてこの旅との一体感を感じた瞬間だった。「潤さん、気持ちいいなあ。」「大瀬、ホントだよ。」その状態を表現するのに他の言葉は見つけることは出来なかった。

その後の徳之島への航海は快調だった。徳之島の北東部はかなり荒れていたが、3艇のペースも乱れず、荒れた海を楽しむ余裕さえあった。昼過ぎには無事に亀徳港に入り、前にも書いたが、港でうろうろしていた俺たちを平和飯店の親父さんが声をかけてくれて、1泊お世話になった。次の日の徳之島(亀徳)から沖永良部島(和泊)も快調だった。この頃には、帆の使い方と、エイクでの舵のきり方をほぼマスターし始めていた。サバニの帆では風を掴みすぎてはいけない。適度に風を逃がし、帆の上を風が滑るように風を掴む。そして波の中では、風の力で進むK2を従来のラダーだけではコントロールすることが出来ないので、エイクでスターンラダーを入れ、カヤックをコントロールする。そして、もうダグ-仲村さんペアのK2に置いて行かれることはなくなっていた。次の日の和泊から与論島への航海も快適なセーリングだった。与論島のリーフの内の海の色は、いかにも南国の海の色で俺も潤さんも興奮して叫びながら真っ白な砂浜に上陸した。与論島についた時点で仲村さんは一度、息子さんの結婚式に出るために一時離脱することになった。潤さんも仲村さんの離脱に伴い、一緒に那覇に行き、急ぎの原稿を仕上げて、再度、那覇から仲村さんと合流することになった。その結果、俺はダグとK2に乗ることになった。与論島の素晴らしいビーチに二泊して、三日目の朝、仲村さんと潤さんに見送られ、与論島を後にした。目的地の伊是名島は、与論島から見て南西の方向に位置する。この日は、この旅、最強の東風に恵まれ、最速で時速20km以上でかっとんだ。K2のスターンシートでステアリングを担当し、初めてのダグとのペアに少し緊張したが、この旅で培った経験で、風速10m以上、うねり3m以上の海でもなんとかK2をコントロール出来るまでになっていた。あまりの強風にサバニの帆は、一段、縮帆(帆を縮めて、小さくすること)されていたが、十分な風のパワーを得て、ぐいぐい進んでいく。波には常に乗っている状態で3mの波を駆け下りるごとにK2のデッキは海水で洗われた。デッキの上に乗せているものはすべてバンジーコードでつないでおかなくては、伊是名島につく頃には全て無くなっていただろう。俺は、必死でエイクでラダーをきり、帆綱を握り締めコントロールしているなかで、ダグはバウシートで防水ノート片手に日本語の勉強をしていた。辿り着いた伊是名のビーチは天国のような場所だった。そこでまた二泊し、島での滞在を楽しんだ。そして、今後の旅をどうするか、ダグから相談を受けた。ダニエルは、船酔いがひどいので沖縄から宮古島への250km以上のロングクロッシングは厳しいだろうと言った。お前は行きたいだろうが、今回は沖縄までにして、二年後に続きをやらないかという提案だった。10月初旬に始まったこの旅も10月の後半にさしかかっていた。天候も冬のものに変わり始め、北風が強くなり始めていた。仲村さんも250kmの海峡横断をするにあたって、適度に安定した三日間を確保できるかどうか心配していた。この提案を受けた時点でもう先に行きたいという気持ちはなかった。いろんなことがあって、もうお腹がいっぱいの状態だった。俺は満足していたのだ。そして、ダグとは絶対に続きをやろうと固い握手とともに約束した。そこから伊是名島から備瀬崎、備瀬崎~残波岬を1日づつで移動し、残波岬で仲村さんので迎えを受け、そこでこの旅は終了となった。そして、旅の続きは、2009年に再開されることとなる。