ジュンさんとタキがちょうど1歳になった息子、風生をつれてマキノに来てくれた。ジュンさんとは2007年の九州〜沖縄へのセーリングカヤックのパートナーとなって以来の仲。それから色んな場所を一緒に漕ぎ、フェザークラフトやグランストリームを色んな雑誌でたくさん紹介してもらった。10年連載が続いたパドリングホーボーは残念ながら終わってしまったが、間違いなくカヤックの海旅を日本に広めた立役者の一人だろう。以前、パリダカにも出ていたジュンさんがモータースポーツから人力のカヤックやバックパッキングに転向して「大瀬、人力の旅は最高だぜ!」と言い切ってくれたことはこの世界を切り開いていくうえで僕にとっても見えない後押しになっていたと思う。2007年の旅でジュンさんと薩摩硫黄島から口永良部島に渡った時のこと、久々につながった携帯の電波で受け取ったかみさんからのショートメール。「次男が頭蓋骨骨折しました。」家の石垣から頭から落ちて、溝の角で頭を強打し、カミさんが駆けつけたときは溝が血の海になっていたらしい。幸い大事にはいたらなかったが、前頭部には今も当時の傷がスイジガイのような形で残っている。(本人的にお気に入り)当時、4歳だっと次男も今は15歳。ジュンさんと一緒に写真を撮ってもらいながらそんなことを思い出した。