座間味島の阿真ビーチを出発して、2日目、7,8m/秒の適度な風が吹き、帆を張ったカヤックは追い風を受け、順調に進んでいる。漕いでいないのに、8km/hほどのスピードで宮古島のある240°の方向へ海上を、波を切りながらに走っていた。この帆を張った二人乗りのカヤック(Feathercraft K2exp)はフォールディングカヤック(スキンカヤック)だ。ジュラルミンのフレームとナイロンとウレタンから成る船体布で構成され、その船体は波の動きに合わせながら、水上を生き物のように滑っていく。周囲に島影はなく、周囲360°海、天候は晴れ、適度な風、Tシャツで心地よい気温、スターンシートでは、ダグが心地よさそうに口笛を吹いている。「この瞬間のためにカヤックをやってきた。」というより、「この瞬間のために生きてきた。」と思えた瞬間だった。俺のK2でのパートナーは、ダグラス・シンプソン、彼はフェザークラフト社の創始者でもありデザイナー、そして現社長だ。そして私の人生とカヤックの師匠でもある。横にはもう1艇のK2が走っている。歌を歌う若いカナダ人二人。バウシートにはエバン・シンプソン、ダグの息子で大学生、身長は195cmほどある。身体は大きいがおとなしく、優しい奴だ。物心つかない時から、パドルを握り、ダグといろんな場所を旅している。サッカーのゴールキーパーだったので、身体は大きいが動きは俊敏だ。もう一人は、ダニエル・エリック、彼はフェザークラフト社の社員だ。しかし一人っ子のエバンとは子どもの時から兄弟のように仲がよく、ダグも自分の息子のようにかわいがっている。アイスホッケー、スノーボード、カイトサーフィン、マウンテンバイクとなんでもこなす、運動神経抜群で俺のライバルだ。
俺のバンクーバーファミリー、左からダグ、エバン、ダニエル。
2006年10月に沖縄で行われたフェザークラフトミーティングというイベント終了後のことだった。「来年2007年、時期は10月、エバンとダニエルを連れて、1ヶ月で九州から台湾まで行こうと思っているが、一緒に行くか?」とダグがいきなり切り出してきた。それにその場で即答できるものはいなかった。10月に大陸から移動性の高気圧が張り出だすことで、奄美、沖縄地方に吹く東よりの北風は、「ミーニシ」と呼ばれる。それとは逆に7月上旬に梅雨前線の北上に伴い、その梅雨前線に引っ張られるように吹く南風は「カーチベー」と呼ばれる。古代の琉球の人々はその風を使い、南西諸島を北に南に船で自由に往来していたという。「昔の人が出来たのなら、俺たちにも出来るだろう。」ダグはそう考えたらしい。そしてダグは南西諸島にある空港の過去5年間の10月の毎日の風速、風向を調べた。そうすると10月は、10m/秒前後の適度な北東風が安定して吹いており、徐々に台湾に近づくにつれ、それが東よりに変わっていくということに気付いた。「行けるかもしれない。」ダグは確信した。このコースと時期、九州から南下するということは、いろんな困難となる要素をはらんでいる。九州から台湾へのコースは、最大時速4ノット(約8km/h)と呼ばれる黒潮に逆らうコース。通常、人力のみのカヤックでは航行できるコースではない。しかし今回の旅は風の力を借りることでこの黒潮に逆行するルートに挑戦する。しかし北よりの風を利用することで南から北上してくる黒潮と風がぶつかり、海は大きく荒れることが予想される。また季節は10月、日照中の活動時間は10時間ほどしかない。このプランに対し様々な意見が飛び交った。「無理だ。」「危ない。」が大半だった。そして私にもこの時点でこのコースの概要がまったくイメージ出来なかった。シーカヤックの旅の場合、そのコースのイメージが出来ない場合、それは不安となる。果たして新しいセーリングカヤックのシステムで黒潮に逆らい進むことが出来るのか。しかしその不安を抱えながら、ダグの誘いに乗った。ダグにはイメージできるその世界を見に行こうと決心した。
左からジュンさん、徳之島でお世話になった平和飯店のご主人、ダグ、エバン、ダニエル。
シーカヤッカーのオアシス、宿り浜、イソシギにて。エバンとオーナー故ポールさん
そして2007年10月に九州から沖縄への旅に出たのだ。この時の旅のメンバーは、冒頭で紹介したカナダ人3人の旅のメンバーに加え、沖縄カヤックセンターの仲村忠明氏、アウトドアライターのホーボージュン氏の計6人だった。この旅でも、二人乗りのカヤック、フェザークラフトK2を使用したため、ダグと仲村さん、エバンとダニエル、潤さんと私がパートナーを組み、ダブル艇3艇で行くことになった。鹿児島、開聞岳の麓の瀬平から漕ぎ出し、薩摩硫黄島、口永良部島、屋久島(永田)へと渡った。しかし屋久島から奄美大島のトカラ列島間は断念し、その間はフェリーで移動。また奄美大島の古仁屋港から、徳之島(亀徳港)、沖永良部島(和泊港)、与論島、伊是名島を経由して、沖縄本島の残波岬で旅を終えた。移動はすべて日中、夜は島の漁港やキャンプ場やビーチでキャンプをした。時には港で声をかけて頂き、島の人の家に泊めてもらうこともあった。初日の硫黄島に渡る時には、途中夜になり、島周りの激しい潮流にもまれて、あまりの怖さにラダーペダルを踏んばる膝が震えた。風の無い時、向かい風の時には漕ぎ、追い風に恵まれれば、1日中全く漕ぐこともなく、コーヒーをすすり、歌を歌ったり、あほな話をしながら1日を荒れた海の上で過ごした。
(2007年の航跡 九州〜屋久島九州〜屋久島/ 2007年の航跡 奄美〜沖縄 *GPSデータではありません。)
上陸後、毎日、ダグと仲村さんは装備についてセッションしていた。自分の作った道具で旅が出来たら、どんなに楽しいだろうか。
2010年、昨年の予定のコースは、沖縄本島の宜野湾マリーナから、台湾の東海岸の頭城鎮(taucheng)までの約500km。途中に、慶良間諸島、宮古島、多良間島、石垣島、西表島、与那国を経由し、各島々に上陸しながら、黒潮を遡り、そして横切り、台湾を目指すというもの。そして2010年の旅には、潤さんと仲村さんは各々の理由で参加できなかった。ダグに二人の不参加を伝え、旅を継続するかを聞いたところ、「お前が行くなら行こう。俺にもそれほど時間は残されていない。」ダグの年齢は63歳、40年近く漕ぎ続け、身体を鍛え続けてきているが、現役のパドラーとしての限界は近づいてきている。2007年の旅の最後にダグが言った、「俺達、カナダ人達だけでもこの旅は出来る。しかし日本人の友人とこの日本の海を旅することに大きな意味があるんだ。そのことをよく覚えておけ。」仲村さんもこの旅に本当に参加したかったと思う。そしてダグも仲村さんと旅をしたかったであろう。様々な思いが交錯しながら、沖縄から台湾への旅は始まる。那覇では仲村さんファミリーからの十分なサポートを受けた。また出発のタイミングのジャッジに関しては、仲村さんの判断を頼りにした。また絵描きの伊東さん、海想の森さんたち那覇在住の海の旅人たちが惜しむことのないサポートでこの旅を見守り送り出してくれた。心配性の潤さんは旅の始まりから終わりまで、「おーせー、大丈夫か?」と終始心配してくれていた。20年来のダグの友人でもあるエイアンドエフ社社長の赤津さんもスポットという発信機から送りだされる我々の位置情報をパソコンの前で24時間体制でチェックしてくれていた。座間味島から宮古島まで250kmを三日三晩、70時間かけて航行し、たどり着いた池間島では海の男たちが快く受け入れ、そして心をこめてもてなしてくれた。10月にしては異例の大型台風がフィリピンから台湾にかけての海峡に10日間ほど居座り、そこからの継続は無理とあきらめ、そして2010年の旅は池間島で終えることとなったのだ。
(2010年の航跡 沖縄〜慶良間〜宮古島(池間島) / GPSデータではありません。)
全てはこの沖縄での2006年のフェザークラフトミーティングから始まった。仲村さんのサバニ。写真/赤津孝夫
このセーリングカヤックのシステムには、カヤック本体の左右にアルミフレームが軸となったエアー式のポンツーンが設置されている。このため横風を受けても、横に倒れることはない。またこのポンツーンは波を受けたショックを吸収するために、アルミの軸のフレームを中心にクルクルと回転するようになっている。比較的にこのセーリングシステムは、カヤックに強固に固定はされておらず、随所で波や風の力を逃がすように設計されており、一見、強度不足のように見えるこのシステムが実は安全を生み出しているということをこの3年で旅の経験のうちに確信することが出来た。またカヤック中央部の左右にリーボードと呼ばれる二本のフィンが設置されているため、これがカヤックの横方向のドリフトを防ぎ、風上にのぼる性能を生む。そしてセール、このセールはフェザークラフト社純正のものではない。旅のメンバー、仲村さん作のサバニスタイルのセールだ。ご存知の方も多いと思うが、サバニは琉球地方に古来から伝わる小型の漁労船だ。エイクというシングルパドルで漕ぎ、舵を取り、帆で風を掴み進む。仲村さんはサバニにも造詣が深く、サバニスタイルの帆をセーリングK2用にサイズダウンして作った。ダグもこのサバニスタイルセールの性能を認め、日本でのセーリングの旅には必ずこのセールを使用する。「北方の文化であるカヤックに、南方の文化であるサバニの帆を組み合わせるということは、北と南の文化の融合なんだ。」とダグは満足げに語っていた。その時、私はもうK2がカヤックであろうが、カヤックでなかろうがどうでも良くなっていた。我々の祖先が培ってきた櫓櫂、そして帆走で海を移動するというシンプルな航海、それを行う術を身につけたいと思った。いい風が吹けば時速10km/hで巡航でき、無風や、向かい風なら漕いで進むことが出来る乗り物、とにかくこの乗り物でぶっとんだ旅がしたくなったのだ。
仲村忠明作サバニウィング。鳥の羽のように美しい。
写真/文 大瀬志郎